宇都宮家庭裁判所 昭和48年(家イ)73号 審判 1974年1月11日
申立人 小峰忠男(仮名) 昭三二・一二・一〇生
外一名
相手方 小峰正弘(仮名)
主文
申立人両名と相手方との間に親子関係が存在しないことを確認する。
理由
申立人らは主文同旨の調停審判を求めて本件申立に及んだものであるが、相手方は昭和四八年三月二二日午後三時の第一回調停期日以来四回の調停期日に出頭せず、ようやく第五回調停期日に出頭して本件事実関係については、すべてこれを認め、主文同旨の審判をすることに異議ない旨を述べた。しかし、同期日に申立人らが出席していなかつたので、当事者間には実質的には合意が成立しているが、調停委員会の調停を成立させることができない。
そこで、本件記録中の各戸籍謄本、原戸籍謄本、申立人小峰秀男法定代理人親権者母三津浜サキコ、田辺富夫および相手方小峰正弘各審問の結果を総合すると、次の事実が認められる。
申立人両名の母三津浜サキコ(当時は峰岸姓を称す)は、昭和二八年一月二六日相手方と婚姻し日光市内において同棲したが、婚姻時先夫との間の子を一人随伴してきたため相手方の母との折合が悪くなり、昭和三〇年四月一〇日ごろ相手方の家を出て別居したまま夫婦関係は断絶した。サキコは家出後離婚届未済のまま横浜市内で稼働しているうち、同年一〇月ごろから申立外田辺富夫と知り合い、同市内で同棲し夫婦同様の生活を続け、昭和三二年一二月一〇日申立人忠男を出産したが、前記のように相手方との離婚届出を了していなかつたので、田辺富夫との間の子として出生届をすることができなかつた。次いで昭和三五年四月一六日サキコは申立人秀男を出産したが、忠男同様その出生届をなさずに放置していた。一方相手は母たつえを通じて昭和三八年三月二〇日サキコとの協議離婚届出を了した。サキコは昭和四〇年一〇月二六日秀男について自己の非嫡の子として出生届をしたが、忠男は依然出生届未済のまま放置していた。忠男は昭和四八年三月横浜市立○○中学校を卒業したが、無籍のため就職その他に支障を生ずるので出生届未済のまま本件調停の申立をした。
その後申立人秀男は昭和四八年六月六日栃木県藤原町長の戸籍訂正手続により、申立人忠男は昭和四八年六月一三日母サキコの出生届により、いずれもその出生の日が戸籍上相手方とサキコと婚姻中であるので、嫡出推定により両名の嫡出子として相手方の戸籍に入籍したものである。
相手方はサキコが家出してから現在まで同人の消息を知らず本件調停期日において申立人らが自己の戸籍に長男および次男として入籍していることを知つたものである。
以上の事実により、申立人らが相手方の子でないことは明らかであつて、その事実関係については当事者間に争いがない。
よつて、当裁判所は調停委員の意見を聞き、当事者双方のため衡平に考慮し、一切の事情を総合考察し家事審判法第二四条により主文のとおり審判する。
(家事審判官 藤本孝夫)